こんにちは、ノーバス馬込校です。
今回は、目標の立て方について、話していきたいと思います。
私達は、普段何かをしっかりとやろうとする際、必ずといっていいほど、目標を立てようとします。例えば、次のテストは平均が80点を超えるようにするとか、今度の大会ではベスト8に入るとか、好きな人のために何キロ痩せるとか(笑)
大抵、目標というのは達成することが難しいものです。立てた目標の全てを実現させるなんて事は、なかなか出来ることではありません。いくつもいくつも達成出来なかったり、立てただけで実際は全くやってなかったり、そんなこんな経て人は成長していくというか、なんというか・・・
でも、何度も失敗を重ねながら、やっぱり目標って立てるじゃないですか。
ならば、達成出来る様に目標を立ててみましょう!
私は、目標を立てる際、大事にしていることがあります。それは、『短期的な目標』と、『長期的な目標』を立てるということです。長期的、つまり最後に自分がどうなっていたいのかをあらかじめ決めておくことが大事なところです。ゴールを定めることで、短期的な目標を、そこまでの道のりのようにして置くことが出来ます。後は、地道に短期目標をクリアしていくだけです。
この目標を立てるとき、見通しを間違ってはいけません。多少の事故や事件に巻き込まれても絶対にその目標だけは達成するように心がけて、あなたなりの『目標』を立ててみて下さい!
こんにちは、ノーバス馬込校です。
今回は、『問い』ということと『答え』ということについて考えながら、勉強することの意味を考えてみたいと思います。
授業開始のチャイムが鳴りました。先生が教科書のページを開くように生徒たちに言います。ある生徒は退屈そうに、ある生徒は問題に出会える喜びに震えながら、教科書を開きます。中には、教科書なんて開かない、先生の言うことなんてどうでもいいと考える人もいるかも知れませんね。
さて、教科書を開くと、最初に目にするのは各単元の説明にあたる文章だと思います。その下には例題や演習問題が続き、その解説を教師が黒板などを使って行うわけです。しかし、教師の書く言葉一つ一つに神経を割きながら、問題を解き、その上それに対する自身の考察を述べなければならないとなると、やがて段々授業が面倒になっていって、ノートもとらなくなり、ひどい場合、いずれは教科書ですらも開かなくなってしまうでしょう。
人が、誰かに何かを『問う』時、無意識的にある程度その『答え』は予想されているものです。付け加えるならば、予想する答えというのは『問う』人にとって自分に賛成するような、自分と同じような意見になると思われています。日常会話においても、
「○○って良くない?」「××ってヤバくない?」
と聞くとき、
「良いよね〜、○○。」「××はヤバい。あれはガチでヤバい。」
という答え方を、よほどその意見に反対したい時以外はしていませんか?
この時、『問う』側がその答えをある程度予想しているように、『答える』側はある程度『問う』人への同意を心がける傾向があります。この傾向を、学習やテストでも活用できるようになれば、より効率良く問題を解けるようになります。
どうしてこの問題を先生は出題したのか、それに対して自分はどう答えれば良いのか、この2つのポイントを抑えることを意識すると、今後の学習への意識が少しだけ変わるかも知れません。退屈だと思っていた授業を、ちょっとだけでもちゃんと受けてみよう、そう思えるくらいには。
こんにちは。ノーバス馬込校です。
あと一ヶ月もすれば期末テストの時期にさしかかってきますね。
これから梅雨の時期に入ってきて、なんとなくだるかったり、やる気が出ない生徒もいるかもしれませんが、ここ一ヶ月が勝負の時期になります。
ここを乗り切れば後は夏休みが待っているので、やる気が出なくてもまずは、毎日少しの時間でもいいので英単語を覚えてみたり、教科書の音読をして勉強しない日をなるべく作らないようにしていきましょう!テスト期間中、勉強していた自分に助けられますよ!
家では邪魔するもの(スマホとか)が多くて勉強することができないという生徒はノーバスの自習室を利用しましょう!もちろん家で勉強している生徒もたまには自習室を使ってみたりするとリフレッシュにもなりますよ!
勉強してみて分からない問題があった、どこを勉強していいのか分からない時は講師に積極的に聞きにきてください!講師と一緒に疑問点を効率的に解決していきましょう!!
長いようで短い期末テストまでのこの期間、悔いのないように一日一日を過ごしていきましょう!
こんにちは、ノーバス馬込校です。
今週は「問題を解く意義」について、私なりの考えをあらわしていきたいと思います。
日々学校に通い授業を受けている皆さんは、「なぜこんな問題を解くのだろう」と一度は考えてみたことがあると思います。その理由は、私たちが使用する教科書や問題集の設問が、私たちの生活の中で到底出くわさないような形をとっているからです。国語の問題で頻繁に登場する「筆者の考えを書きなさい」という問いは、日常生活の中で問われることはほぼ無いといっていいでしょう。
しかし、問題の価値とは「その問いがいかに日常生活で問われやすいか」という点には無いと思うのです。わたしたちが問題に期待すべき点は、「その問題を解くことによって物事を考えるときの基礎的な力を身につけられるかどうか」ということだと思います。
私はこの力のことを「論理的に考える力」と考えていますが、これは日常生活においてとても役に立ちます。明日友達数人とピクニックに行く予定があるとします。しかし天気予報では明日は一日中雨が降るとのことです。明後日はみんな都合が合い、天候も良好らしいとなれば、ピクニックを明後日に延期するのが懸命だと多くの人は考えるでしょう。極端な例ですが、さまざまな要因(ここでは天候やみんなの都合)を考慮して、次にする行為を決める(ピクニックの延期)という論理的発想は、わたしたちはみんな日常的に行っており、とても役に立つ重要な能力です。
学校で使われる問題集や教科書の設問には、この能力を鍛えさせるエッセンスが多く含まれています。一見日常生活に関係ないように思われる設問も、わたしたちが日常を生き抜くための力を鍛えてくれているのです。学校で配られたうんざりするような例問題集も、「論理的に考えさせようとしている」と考えればまた違ったものに見えてくるかもしれません。